INFOMATION
2008/03/31
2008/03/14
うりずんの季節
1週間ほど沖縄に帰省してました。
2ヶ月前とは明らかに違う湿気・・・そういえばもううりずんの季節ですもんね。
戻ってくると、東京も潤ってた。1週間前とはたしかに違う湿気。
琉球語の「うりずん」は「若夏」と同じと思われがちですが、本来は「雨が土に潤い浸みる頃」ということで、まさに今頃をさすんですよね。
今年の春はやけに潤いを感じるなぁ、と思っていたら、そういえば今年って水の年なんだ。
なーんて、実家の状況を考えるとそんなのんきなことを言ってる場合でもないんだけど。。(笑)
今の父の姿を見ると、この世の哀しみのすべてのような気がしてしまいますが、
それでも春はどんどん潤い、夏至に向けて太陽は勢いを増していき、幸せの気配を感じるのです。
3月10日、父は76歳の誕生日を迎えることができました。
肺炎が少し落ち着いたのか、ときどき目を開けてくれたのが嬉しかった。
創りたい曲がまだまだあるんだけど、父のそばで感じるものも大きくて、この時間も大事にしたい。
なので、一仕事したらまた沖縄に戻ります。
2007/12/20
『アブダクション』が誕生するまで
siteTINGARAで父の著書『アブダクション』を宣伝しちゃいました。(*^^*)
実は私も、つい先日の帰省中に父の病室で読みました。
読む前には"難解な論理学の本"という先入観があったため「私がこの本を最後まで読めたら奇跡だな」なーんて思っていたのですが、意外や意外、とても面白いのでした。
もちろんパース以外の学者さんの意見と比較したり、というあたりは、論理学についてまったく無知な私には眠くなるポイントだったのですが(笑)、第2章の終わりあたりからのアブダクションについての解説の部分は、まさに「アブダクティブな示唆は閃光のように現われる」の言葉の如く、宝物を発見したような期待感があるのです。
いったいシロートの私が何に興奮したのか、それはそのうち熟慮を重ねて語るとして(笑)、
この本が完成して無事出版を迎えるまでの壮絶な日々について、記しておきたいと思います。
父は何年も前から「次は科学的発見の論理について書くんだ」と語っていました。
父がこの本を完成させたのは、今年の4月のことでした。
3月に完成まであと1歩のところで入院することになってしまい、病室ではいつも書きかけの原稿の事を気にして、4月7日の一時退院の日に猛烈な勢いで最終章を書き上げ、その後自宅で療養中に前書きを書き終えて、全原稿が完成しました。
5月には薬の副作用からみるみる食欲が衰え、わずか10日ほどで体重が6kgも落ちてしまい、家族の支えなしでは歩けないほどの体力になっていました。それでも頑固者の父は入院を嫌って、投薬と通院を必死でこなしながら『アブダクション』の出版準備を進めておりました。
前作の『パースの記号学』の出版社である勁草書房さんが快く快諾してくださったので、出版についてはスムーズだったのですが、7月中旬、とうとう入院を逃れられないほど身体が悲鳴をあげてしまいました。
食事は経管栄養となり、歩行も困難で寝たきりの状態となり、極めつけはあれほど「この本を完成させるまでは死ねない」と言い続けてきた父が、極度のウツのため著書への熱意すら破壊されてしまい、残された校正や索引の製作などの仕事をこなすことが出来ず、急きょ琉球大学での教え子でもある浜崎先生と久高先生に助けを求めて出版に間に合わせました。
8月下旬、多剤耐性菌であったことが判明した肺外結核の治療のため沖縄で唯一専門の設備を持つ大学病院へ転院し、徐々に精神面も回復し、9月20日の出版日には念願の『アブダクション』を手にして感激の涙を流しました。浜崎先生と久高先生に父が直接、心からの感謝を伝えられたのも、先生方との面会が可能になったこの頃でした。
しかし肝心な耐性菌との闘いはすぐには始められず、薬の感受性テストの結果を待って10月19日から始まりました。それらの抗生剤は菌に対して明らかな威力を発揮しているのですが、同時にさまさまな試練を父に与えています。聴力は衰え、精神症状が悪化し、血中カルシウム値の増加、錠剤の誤嚥による炎症、そして12月に入ってからはDICという重篤な合併症まで引き起こしました。
それでも主治医の迅速な対応で窮地を脱し、看護士の方たちが誠意ある看護をしてくれて、父は強運と並外れた生命力に恵まれて、まだこの世にいます。
私は父がDICから回復し、全身症状が落ち着きを取り戻し始めた12月10日から『アブダクション』を読み始めました。父はDICで受けた治療の恐怖が限界を超えていたのか、精神症状はピークに達していました。
難解すぎて私にはムリだろうと思って前書き以外読んでいなかった(!)この本を奇跡的に読めたら、どうか父も奇跡的に回復させてください・・・なんて思いながら父の傍で読み進めたら、思いのほか楽に読めた。でも読み始めた瞬間、戦慄が走りました。これほどの本を書いた著者と目の前に居る父は・・・わずか半年前までこんな作品を書いていた人が・・・。
泣けて泣けてたまらなかったのですが、読み進めると『アブダクション』には快感とも呼べるほど示唆的な言葉が散りばめられていました。
「オーケストラの種々の楽器から発するさまざまの音が耳を打つと、その結果、楽器の音
そのものとはまったく違うある種の音楽的情態が生ずる。この情態は本質的に仮説的推論
と同じ性格のものであり、すべての仮説的推論はこの種の情態の形成を含んでいる」(P96)
まさしく。アブダクションで例えるなら、私たち音楽家はアブダクティブな示唆がほのめかすあの情態を求めて、さまざまな楽器を掛け合い、試行錯誤するのである。その探求の結果、あの得も言われぬ感動が姿を現すのだ。
TINGARAの音楽を流しながら、夜遅くまで病室で読み続けた5日間。
傍らにいる父には、私がこれを読んでいることを伝えることができませんでした。
父の心にはもう届きませんでした。
でも、共に過ごしたこの半年余りの日々に繋いだ確かな絆がある。
父のさまざまな言葉が蘇ってきました。
いつの日か父が本来の自我を取り戻せるまで、たくさん質問したいことを封印しておこうと思います。
2007/08/08
島の夏
みなさま、私の落ち込みエントリーに温かなコメントありがとうございました。m(_ _)m
心から励まされました。
と同時に、ここを見てくれている人たちの優しさを感じて、胸が痛みました。。
やっぱりにょろは、にょろにょろで行かんとネ☆
父の病状は相変わらずですが、なんと言えばいいか、、ヘンな話、
とてもいい時間を過ごせています。
介護経験のある方はきっとわかっていただけますよネ。(*^^*)
ここのところ、父は毎日泣くんです。つぐみに大変な苦労をかけた、と・・・
泣きながら感謝の言葉をたくさん述べてくれます。
私はこれほどまで人に感謝されたことがないので、毎日が感動です。
と同時に父は、私の人生を棒に振らせてしまったと思っているんですね。。
今朝などは、私に馬乗りになって潰してしまう夢をみたそうで、泣きながら
看護師さんなど大勢いる前で「つぐみー つぐみー」と目を覚ましたそうです。。。
おーい、パパ。わたしゃ平気だじょ。
そんな私は今朝、だいじにかわいがって育てている亀に水をあげる夢を見ました。(笑)
台風の影響か毎日夕立があるのですが、そのたびに病室の窓から虹が見えるのです。一生忘れられない貴重な日々を過ごしている、島の夏なのでした。
2007/07/31
7月が終わる
にょろ。
ここにはリアルな日常を綴りたいと思っておりまする。
と同時に、幸せを感じるブログでありたいと思っておりまする。
がしかし、、いくら日頃、多幸感の豊富な私でも、太刀打ちできないほど、むなしいこともございまする。。
父は今、腎不全の他に結核菌とも闘っています。
「結核」というと、かつての国亡病のイメージがあるかもしれませんが、画期的な抗結核薬が登場し、結核の脅威が過去のものと思われ始めてました。それも束の間、多剤耐性結核菌の出現により、実は今だに世界的に猛威を振るう感染症のひとつとして君臨しているでした。
父は幸い(?)肺外結核で、隔離されての入院治療は要しません。
だけど、悔しいことに、耐性結核菌の可能性がでています。。
そろそろ薬の量を減らせるのでは、と期待していたのですが、減らせるどころか、もう投与4ヶ月になるのに、菌が死滅していない。そもそも透析患者のため、ストレプトマイシン(SM)とエタンブトール(EB)が使えない。そして頼みの綱である特効薬のリファジンカプセル(リファンピシン RFP)がどうも効いていないようである、と昨日の面談で主治医から言われてしまったのでした。
わぉぉぉぉぉおおおん。(T T)
・・・しかし、それよりもむなしいのは、当の父が、すでに闘病の意欲はなく、心も身体もすっかり弱りきっていることなのでした。
そしてとうとう昨日、シャントも詰まってしまいました。
(シャントとは、血液透析を受けるための動脈と静脈を繋いだ血管のこと)
再びシャント手術を受けるのが当然の選択なのですが、露骨に透析を嫌い、闘病の意欲のない父のことなので、今日、医師から「家族として今後の治療をどう選択したいか」といった感じの意思確認がありました。。
透析を止める=死を意味するわけですから、母と私がそんな選択を取れるはずもない。
透析経験のない私たちには、なぜ、父がそこまで透析を怖がるのか理解ができない。
もはや子供のように、ただただ私たちの手を取って不安ばかりを訴える父に、施しようのない思いだけが空回りするのでした・・・
2007/07/27
薬って・・・
今夜もひとりでお留守番。
ママパソも好きに使えての~びのび、のはずなんだけど、なんだか軽い頭痛がする。。
たぶんクーラー病ですね。この暑さで、室内や車はガンガンにクーラーを利かせているので、冷風が直接頭に当たって、頭痛が始まってしまいます。
頭痛薬を飲んだけど、食事とのタイミングがイマイチだったのか、効きが悪くてちょっと吐き気・・・
たった頭痛薬ひとつでコレだもの。
毎日20錠ほどの薬を飲まなければならない父は、どんな副作用が出ても不思議じゃない。窓から見える海の青さや太陽の光に心を潤す余裕なんて、なくて当たり前なのかもしれない・・・
薬は病を治してくれても、どんどん心を蝕んでいく。
2007/07/26
いちばんの願い
沖縄にいる間は介護系の話題ばかりになってしまいますが、、
もしドラえもんがここにいたら、迷わず「どこでもドアー出してちょ!」と頼みます。
今いちばんの願いは、アメリカにいる妹一家を父母に会わせること。
さまざまな“アメリカ的事情”で帰国できずにいる一家は、この夏の実現に向けて悪戦苦闘しています。
勘のいい妹は、夜も眠れず、「後悔することになるのでは・・」と震える日々。。
帰沖して両親に付きっきりの私に、毎日のように感謝を述べてくれます。
今ほど「ヒマなミュージシャンでよかった」と思うことはありませぬ。(^O^)
かおるー、パパはまだ生きてるじょー。
神様どうか、まだ火を消さないで。。
2歳のころの私の最も古い記憶が、亡くなる前の祖父の笑顔だったように、それがやがて守護神の笑顔に感じはじめたように、甥っ子たちにおじいちゃんと会わせてあげたいのです。
キミたちのためなら何でもするからね。必ず、必ず、come to 沖縄!
あっ・・・英語だけはいつまでたっても期待できない、にょろおばしゃんです。。(-_-)

