2007/12/20

『アブダクション』が誕生するまで

siteTINGARAで父の著書『アブダクション』を宣伝しちゃいました。(*^^*)
実は私も、つい先日の帰省中に父の病室で読みました。
読む前には"難解な論理学の本"という先入観があったため「私がこの本を最後まで読めたら奇跡だな」なーんて思っていたのですが、意外や意外、とても面白いのでした。
もちろんパース以外の学者さんの意見と比較したり、というあたりは、論理学についてまったく無知な私には眠くなるポイントだったのですが(笑)、第2章の終わりあたりからのアブダクションについての解説の部分は、まさに「アブダクティブな示唆は閃光のように現われる」の言葉の如く、宝物を発見したような期待感があるのです。
いったいシロートの私が何に興奮したのか、それはそのうち熟慮を重ねて語るとして(笑)、
この本が完成して無事出版を迎えるまでの壮絶な日々について、記しておきたいと思います。

父は何年も前から「次は科学的発見の論理について書くんだ」と語っていました。
父がこの本を完成させたのは、今年の4月のことでした。
3月に完成まであと1歩のところで入院することになってしまい、病室ではいつも書きかけの原稿の事を気にして、4月7日の一時退院の日に猛烈な勢いで最終章を書き上げ、その後自宅で療養中に前書きを書き終えて、全原稿が完成しました。
5月には薬の副作用からみるみる食欲が衰え、わずか10日ほどで体重が6kgも落ちてしまい、家族の支えなしでは歩けないほどの体力になっていました。それでも頑固者の父は入院を嫌って、投薬と通院を必死でこなしながら『アブダクション』の出版準備を進めておりました。
前作の『パースの記号学』の出版社である勁草書房さんが快く快諾してくださったので、出版についてはスムーズだったのですが、7月中旬、とうとう入院を逃れられないほど身体が悲鳴をあげてしまいました。
食事は経管栄養となり、歩行も困難で寝たきりの状態となり、極めつけはあれほど「この本を完成させるまでは死ねない」と言い続けてきた父が、極度のウツのため著書への熱意すら破壊されてしまい、残された校正や索引の製作などの仕事をこなすことが出来ず、急きょ琉球大学での教え子でもある浜崎先生と久高先生に助けを求めて出版に間に合わせました。
8月下旬、多剤耐性菌であったことが判明した肺外結核の治療のため沖縄で唯一専門の設備を持つ大学病院へ転院し、徐々に精神面も回復し、9月20日の出版日には念願の『アブダクション』を手にして感激の涙を流しました。浜崎先生と久高先生に父が直接、心からの感謝を伝えられたのも、先生方との面会が可能になったこの頃でした。

しかし肝心な耐性菌との闘いはすぐには始められず、薬の感受性テストの結果を待って10月19日から始まりました。それらの抗生剤は菌に対して明らかな威力を発揮しているのですが、同時にさまさまな試練を父に与えています。聴力は衰え、精神症状が悪化し、血中カルシウム値の増加、錠剤の誤嚥による炎症、そして12月に入ってからはDICという重篤な合併症まで引き起こしました。
それでも主治医の迅速な対応で窮地を脱し、看護士の方たちが誠意ある看護をしてくれて、父は強運と並外れた生命力に恵まれて、まだこの世にいます。

私は父がDICから回復し、全身症状が落ち着きを取り戻し始めた12月10日から『アブダクション』を読み始めました。父はDICで受けた治療の恐怖が限界を超えていたのか、精神症状はピークに達していました。
難解すぎて私にはムリだろうと思って前書き以外読んでいなかった(!)この本を奇跡的に読めたら、どうか父も奇跡的に回復させてください・・・なんて思いながら父の傍で読み進めたら、思いのほか楽に読めた。でも読み始めた瞬間、戦慄が走りました。これほどの本を書いた著者と目の前に居る父は・・・わずか半年前までこんな作品を書いていた人が・・・。
泣けて泣けてたまらなかったのですが、読み進めると『アブダクション』には快感とも呼べるほど示唆的な言葉が散りばめられていました。

  「オーケストラの種々の楽器から発するさまざまの音が耳を打つと、その結果、楽器の音
  そのものとはまったく違うある種の音楽的情態が生ずる。この情態は本質的に仮説的推論
  と同じ性格のものであり、すべての仮説的推論はこの種の情態の形成を含んでいる」(P96)

まさしく。アブダクションで例えるなら、私たち音楽家はアブダクティブな示唆がほのめかすあの情態を求めて、さまざまな楽器を掛け合い、試行錯誤するのである。その探求の結果、あの得も言われぬ感動が姿を現すのだ。

TINGARAの音楽を流しながら、夜遅くまで病室で読み続けた5日間。
傍らにいる父には、私がこれを読んでいることを伝えることができませんでした。
父の心にはもう届きませんでした。
でも、共に過ごしたこの半年余りの日々に繋いだ確かな絆がある。
父のさまざまな言葉が蘇ってきました。
いつの日か父が本来の自我を取り戻せるまで、たくさん質問したいことを封印しておこうと思います。