かむながらへの旅 第1夜『理想郷とはなにか』
中国の易が帝王学であるように、私はすべての占星術は皇帝たちの秘技として発達したのだろうと思っている。
漢字学者の故白川静博士は、90年を越す壮大な人生の中で探求されてきた『文字』について、文字は社会のコミュニケーションのために進化したのではなく、「神聖をあきらかにしようとした王のもと、一挙に発生した」との結論に至ったのだそう。
この2つは、私には共通のことを意味しているように感じます。
国を統一するということ。その頂点に立つこと。
白川博士の「結論」を知って以来、芸術を極めるということもそれに似ているのではないかと思い、
大変勇気づけられました。
そうイメージして創った曲が『神々の時間』だった。
今でこそ、こんなお話をしてもTINGARAの音楽性から納得してくださる方も多いかも知れない。
だけど沖縄民謡のカバーからスタートしたユニットを、こちらの方向に持ってくるのはなかなか根気のいる作業だったなと、振り返って思います。
この曲を創るに至れた大いなる方向修正を、私は『みるやかなや』で仕掛けていました。
2003年にリリースしたTINGARAの4作目のアルバム『みるやかなや』。
理想郷とはなにか。なぜヒトは神という概念を持ち、天国を信じようとするのか。
いままでの「沖縄」という枠を超えて、生涯追求し続けたい自分のテーマだと感じているものを楽曲にすること。その第一歩を記せたのがアルバム『みるやかなや』でした。
『みるやかなや』とは理想郷を意味し、本土でも有名なニライカナイという言葉の古語にあたります。
そんなとっておきの言葉を使うに当たって、私は当時、ある大きな覚悟をしていました。
7月3日に『JUPITER』繋がりで吉元由美さんとトークを行うことになったこの機会に、あの時なぜ『みるやかなや』に『JUPITER』を入れようとしたのか、そしてその後の『かむながら』に収まるまでの経緯について、今日から連夜(5話ぐらいだはず)で記そうと思います。