2011/06/20

かむながらへの旅 第3夜『地球の守護神としての木星』

遙か海の彼方にあるという海上楽土みるやかなや。
火や水や、稲などあらゆるものをもたらす神々が住まうという、豊穣の理想郷。


『みるやかなや』で叶えたかったもうひとつの目標・・・

それはTINGARAの沖縄民謡色からの脱却でした。
そんなこと、、初期のTINGARAを愛してくださった方には衝撃発言かもしれません。
『天河原』はあくまで美術展用のBGMをきっかけに、名嘉睦稔さんの描く世界観をイメージして制作したアルバムでした。
私は自分のメインを作曲業だと思っているので、民謡や人様の曲のアレンジは本望ではありませんでした。自分で1から曲を創るほうが遙かに早くて楽なのです。
ただ、自作の曲よりも、アレンジものはコード感などでより印象的な色彩を打ち出せる。
すでに世に知られている曲は、聴く人の耳にも馴染み易いので、斬新なアプローチをすればそのままそのアーティストのカラーになる。だから皮肉なことに高い評価に繋がったりするのです。

このことに私は苦しんでいました。
私にとってむしろ、創ってみて「キターーーーーーー!」と感じられたのは『桃売いアン小』『天河原ナークニー』『与那国しょんかね』といった民謡ベースの曲でした。

初期のデジタルシーケンサーQX1で音楽創りを始めた私にとって、ほんとは作曲も編曲も演奏もミックスも、いっしょくたの作業でした。すべて合わせて「作曲」でした。その構成はクラシックのフルスコアを書くことに近く、自分自身が指揮者になるような感覚なのです。


『桃売いアン小』では琉球旋律の持つメジャー7の甘い響きを存分に活かす。そしてラブソングとしての情緒感や間奏をコーラスワークにすることで女性的な情愛を醸し出す。

『天河原ナークニー』では、変拍子を活かしてフュージョンっぽく、軽やかさと縦横無尽な『ナークニー』のソウル感を表現したかった。

『与那国しょんかね』は、孤高な海人(ウミンチュ)が海洋へと漕ぎ出す、渡難(どなん)と呼ばれる荒波に挑むロマンを音にしたかった。三線を孤高な海人に見立て、バックトラックで惹き立てる。


しかし、シンプルな沖縄民謡や名嘉睦稔さん作の曲を、ニューエイジ的なTINGARAサウンドとして仕上げるのも、なかなかハードルの高い作業でした。そもそも沖縄好きな方たちは、あのシンプルなままを愛しているのだから。
そして沖縄出身の自分がいながら、TINGARAが常に名嘉睦稔さんを中心とした沖縄感と伊是名島を軸にしていることにも、いい知れない寂しさを感じていました。


10曲を10惑星に相対してというアイディアの中で、木星だけはあのホルストの『木星』でいこう。
苦労してカバーをするのなら、いっそ最後に自分自身が「これは当たる」とイメージできるものにチャレンジしてみたかった。
沖縄民謡のカバーではなく、誰もが知るクラシックの名曲のカバーを!それをTINGARAサウンドで奏でる。そこにうちなーぐちでメッセージを添えるのだ。琉球魂のメッセージを。


半月の月をじーっとご覧になったことはありますか?

月が半月の時、月からも地球は半地球(ヘンな表現ですネ)に見えます。
満月の時は月からは地球が見えず、逆に新月の時は月から地球が満地球になる。(笑)
半月の月を見ていると、なんだか向こうから見える地球が見えてくる気がするのです。
それはそれは、圧倒的に幸せそうな青い星・・・。

私は『みるやかなや』というタイトルに、多種多様な生命が彩り鮮やかに暮らすこの地球そのものをイメージしていました。そして、個々に進化を遂げ、現代に至っている命。私たち祖先の願いと夢の果てにあるのが いまである。私たちはいま、先祖の理想郷(みるやかなや)に立っているのだ、ということをイメージしていました。


地球は、巨大なガス惑星木星の引力のおかげで、小惑星や彗星の衝突から守られ、豊富な生命を抱いた美しい星でいられる、という説があるそうです。
地球には豊かな水があり、太陽からの程よい距離で光を受け、多様な生態系が実現した。
でもその影にひっそりと木星の盾があるなら・・・
1993年のシューメーカー・レビー第9彗星の衝突は、そんな木星の守護神としての姿を目の当たりにしたようでした。

『みるやかなや』にひっそりと、でも思いっきり守護神『木星』が必要なことを意味するために、新曲ではなく誰もが「木星だ!」とイメージできるホルストの『木星』をやりたい。
あのとき『木星』を選んだのは、そんな並々ならぬ決意と夢を抱いてのことだったのでした。


しかし、このアイディアすぐに頓挫します。メンバーに反対されてあえなく撃沈。(笑)
確かに、唐突すぎますね。。
『木星』がナシなら、全10曲を惑星に相対して、という案も活かせない・・・
やはり、引き続き沖縄に向かうしかないのか・・・

『みるやかなや』の楽曲名にその名残があるのは、『燃ゆる陽』の陽(太陽)、『海ぬ都』の海(海王星)、美御水の水(水星)だけです。
タイトルに名残はないけど『芳ばさん』に土(土星)、最後の『夏の薫り』は6万年ぶりという悠久の時を想い、火(火星)でまとめました。


だけど、アルバムから民謡を除くという作戦と、今後の音楽の方向性の舵取りにはかろうじて成功しました。
・・・ま、売れませんでしたけどね。(^^ヾ

ところが、この話はここで終わりではなかったのです・・・


2003年5月。
アルバムの音が完成して、TINGARAは石垣島へ向かいました。
このアルバムのテーマ性から、私の先祖を辿りDVDを創るという企画が持ち上がったのでした。

『遙かなるみるやかなや』。

それは偉大な存在だった名嘉睦稔さんからの船出でもあり、「つぐみのルーツとしての沖縄」をみんなが認めてくれた瞬間でもあるように感じました。
まだまだ前途は多難。でも長らく音楽をやってきて、ようやく自分の目指したいテーマにみんなの賛同を得られた第一歩だったように思いました。

同じころ、内之浦からMUSES-Cという探査機が小惑星に向けて打ち上げられました。


                                つづく・・・