ヒプノシスの体感
今日は写真家の三井公一さんに思いっきり海森彩生の曲を褒めていただき、大喜びのわたくし・・(*^^*)
それがまた「そう、そこ、、そこ褒めて欲しいにょ・・」な所だったもので。(^^ヾ
創り手というのはそのくらい単純なものなのだ。(笑)
お、みなさん。site TINGARAで無料で聴けますからね。どうぞじゃんじゃん聴いてください。
お気に召しましたらこちらで ぽちっ としてしていただけたらこの上なき幸せ。(*^^)v
さて昨日、初めてヒプノセラピーを体験してきました。
7月3日(日)にトークでご一緒させていただく吉元由美さんのブログで紹介されていたセラピストの方にびびっときて、ご多忙なところに急遽スケジュールを空けていただき、特別セッションを組んでいただいたのでした。
永田広美's Life Styling:http://hirominagata.com/
以前からヒプノセラピーには大変興味があったのですが、何しろ敷居の高い印象がありましてね・・・お値段やプログラムも、またセラピストさんに思いっきり身をまかせるわけですから、どなたにお願いしたいか真剣に考えてしまう・・・
しかし、永田広美先生には、HPのお写真を見て躊躇いもなくメールしました。
(美人で笑顔がステキだったから。単純です。 笑)
ヒプノシスとは『催眠療法』などと訳されますが、その解説は私がここでするよりも検索で調べられたほうが早いです。簡単にまとめると、意識と無意識の領域に架け橋をつくり、自分本来のプレーンな状態に気づくことで、心身のバランス改善や願望達成、病気の治癒などに役立てる、という感じなのですが、実はこれ、どれだけ言葉で説明を受けてもその全貌がわかりません。
実際、私が受けた特別セッションでも、永田先生はたーくさん説明をしてくださるのですが、それはもともと自分も理解していることや、なるほどと思うこと、入り混じるわけですが、とにかく先生が念を押しているのは「すべてあなた自身が導いているものだ」ということなんですね。そして「今の説明が解らなくてもいい」ということも滔々と説かれます。
これ、ヒプノセラピーが終わったあとにその意味がわかるんです。
言葉を超越した領域で。
個人的なことなので、秘密にしてたほうが自分のためのような気もするのですが(笑)、今度のトークショーの内容と大きく関わると思うのでお話ししたいと思います。
私の場合、年齢退行セッションや前世セッションというものではなく、ヒプノシスとはどういうものかという体験的なものを組んでいただきましたので、ほんの15分か20分ぐらいでしょうか、眼を閉じて先生の声に従っていきます。まずゆっくりとした呼吸から入り、「だんたんと右手が重~くなっていきます・・・右手が重~く・・」という、あれですね(笑)、しかしそれなりにへそが曲がってる私、そんなに重い感じはしないけど、まいっか、みたいな、いい加減なんですよ。でも身体は正直だったようで、おなかはきゅるきゅる鳴りまくってました(笑)。そんな自分が可笑しくて笑いたいぐらいなんですけど、でもちゃんと先生の声に耳を傾け、「階段が見えてきました。あなたはその上に立っています。」という指示が入るんですね。先生がビジョンのきっかけになる単語をおっしゃったのはそこだけでした。
イメージ大得意と自負している私は、せっせと階段が浮かんでくるんです。いえ、正直に言うとね、私このとき、以前ネットで見た、ある南フランスの邸宅の吹き抜けの上から撮影された写真が浮かんできて、それをイメージしてたんです。適当すぎます・・・(爆)
そして先生が数字を10から数えるのに合わせて、1歩ずつその階段を降り、ゆっくりと潜行していきます。「何が見えていますか?」と尋ねられると「海が見えてます」「白い石の階段です」などなど、どんどん鮮明に見えてくるビジョンを説明してるんですね。そこにいる自分の姿も見えてきます。
そして、またゆ~くり、先生が数字を数えるに従って、帰っていくわけですが、終わって目を開けて、、驚きました。
まるで夢を見ていたようなのです。それもとても鮮明な。
それは明らかにイメージ(想像)ではない、体感の感覚なんです。
そして目を閉じている間に浮かんできた情景は、現実の自分がいる場所とはまるで違うのに、そこの光の強さや、気温や湿度、木々の匂いや足に触れる石の感触など、すべてを覚えているんです。
そして肩の力が抜け、身体も柔らかく改善されているんです。
私、これだけでもとても感激したのですが、家に帰って、そのイメージの元となった写真をネットで探してみたんです。見つかったんですが、驚いたことにまるで違うんです。
私がセッションの中で見たビジョンは、まぎれもなく私だけの、体感として得たビジョンなんですね。
この「体感」と「イメージ」の違い、過去に自分にとって大変貴重な体験となったものがあって、以前どこかでお話したことがあったかも知れませんが、6歳の時、ケンブリッジ(マサチューセッツ)の公園で大地の神の声を聞いた(子供心にね)、いわゆる至高体験のことなんですが、これも、それをなんと呼ぶか、なんというのが近いか、用語は沢山あるのだと思いますが、私にとって現在のところ最もしっくり来たのがこのエイブラハム・マズローの唱えた至高体験という学説なんですが、これ、実体験なので本当に鮮明で、その時の光の色や情景をしっかり覚えていて、のちにあの感覚を呼び起こすための参考になっているんですね。
たった1回の些細な体験が、人生すら導くほどに大きなものになっているんです。
ずーーっと「あれはなんだったのか」を追いかける少女時代だったので、今となっては幸福感の元として、どうするとあれに近い感覚になれるか、その方法さえ身につけているんですね。(笑)
私がどんだけご自愛&自己愛がじょうずか、、その証拠みたいなもんですが、、(^^ヾ
というわけで、私にとってそのヒプノシスでの「体感として身体に残す」あの手法は、たった1回で強烈な参考になったわけなんです。
本当に好きなモノを追いかけると、シンクロニシティがたくさん起こり始めます。
今日、あわてて高砂淳二さんの写真集をIsland Galleryでゲットし、東京ミッドタウンでの写真展に駆け込んできたのは、まだ一度もハワイへ行ったことがない私にとって、この『Children of the Rainbow』の世界は未知の物、100%まだイメージでしか知らない地域なわけですが、これを体感にできないだろうかと、とんでもないことを思ったからでした。(笑)
生きているうちにじゃんじゃん実験しないと。
その高砂さんの写真集には「ホオポノポノ」の文字が。
-ハワイに伝わる光の叡智-
たぶん近い言葉として、沖縄には「ウフソー(大叡智)」という言葉がありますが、それをなんと呼ぶか、何から学ぶかは自分次第。
要は生きている限り、どう心身健やかに我れを楽しみ、他者と親しみ、万物の一部であることに感動できるか。言葉も捉え方も自分次第。自由なんですね。
というわけで「あれ」を音楽で表現したい私としては、自分の未熟な言葉で、抽象的にスピリチュアル的に語ってしまうのを極力避けていたんですが、そんな自分にヒプノシスの「体感いっぱーつ!」な感じは、なんとも清々しく、未来への扉をひとつ開いたようでした。
興味を持たれた方、永田先生オススメですよん。なにしろあの写真のまんまの笑顔で迎えてくださいますから☆