かむながらへの旅 第6夜『東洋的信仰心とDNA』
『みるやかなや』『うなさか』に続いて、2005年には『風の旋律』というアルバムを創りました。
DNAの螺旋構造を『水の炎』と例えた1曲目。
目指すは 届かぬ まばゆい 神々
それは私が想う「神々とは何か」を、まんま表現した言葉でした。
最後の曲『サニ~目覚めの時~』は、ダブルミーニングな曲なんですが、サニとは沖縄の言葉で種を意味し、日本語で直訳すると「さね」になります。この曲のことを語ろうとするとあらぬ方向にいってしまいそうなので(笑)、それはまた別の機会にするとして、みなさまのご想像におまかせいたします。
この曲が1番好きという女性が多いことは、とても嬉しいことでございます。
『風の旋律』を発表した後、2廻り目のTINGARA3部作を果たせたことから、翌年は一呼吸置きたいと思いました。これまで毎年夏に1枚出してきたのを、来年は充電期間にしたいと提案しました。
翌年2006年の春にはradio TINGARAをスタートし、まるで「遊んでるのか?」という軽~いTINGARAを晒すことになりましたが(笑)、それまでの包み隠していたイメージの頃よりずっと自然体でいられ、リスナーの方達の中にもお友達が増えはじめました。
そんな2006年に、再び『JUPITER』に取り組む機会が訪れました。
2005年から2006年にかけての私は、仏教や宗教のルーツに興味が湧いていた時期で、シュメールだのペルシャのなんだだの、弁財天とサラスヴァティやアナーヒターが同じルーツの女神で、水の女神で、蛇を守護神とし、、、などなど、インターネットを駆使して自分の興味の世界を楽しんでいました。
日本の神である宗像三女神。
私は三姉妹の次女なので、市杵島姫神にはとりわけ惹かれました。
市杵島姫神は弁財天と同一視され、音楽の神でもあり、学芸、財運の神でもあるということになります。イチキシマの語源は「斎き島」だそうで、汚れを忌み、清浄にして神に仕えることを意味しているのだそうです。
滋賀県にいる姉が、2003年の東京国際フォーラムでのTINGARA初めてのコンサートの際に、竹生島のお守りを持ってきてくれたことがあり「市杵島姫神はつぐみだと思うよ」とさりげなく言ってくれたことがありがたく心に残っていて、このムズカシイお名前「イチキシマヒメカミ」を記憶していたのでした。(笑)
神道と仏教。別々の宗教でありながら、私たち日本人は宗教という枠を超えて「信仰心」という括りで、その精神性を心の拠り所として、記憶の一部に備えている気がします。
日本人男性の持つY染色体は、遺伝的に大陸ではほとんど淘汰されてきたルーツを持つのだそうで、このY染色体遺伝子を持つのは、日本人とチベット民族に多いのだとか。
唐突にあくまでも妄想ですが、、私はかつての日本は決して大国ではなく、邪馬台国も日本全土を統一した中心的都市ではなかったのではと思うのです。
日本は統一などされなかった。神がかり的なユタのように魅力的な女王が邪馬台国にいて、たまたま魏志倭人伝に記載された。
卑弥呼がいた邪馬台国は九州にあったんじゃないだろうか・・。もしかしたらもっと人口の多い別の都市も奈良のあたりにはあったのかもしれない。
そして八百万の神が集う出雲が神々の国と言われるのは、半島から渡ってきた方達がここに辿りついたからではないだろうか。
それはピルグリム・ファーザーズのマサチューセッツのように。
古の時代、大陸や朝鮮からやってきた人たちは、統一され支配下に置かれることから逃れるなど、なんらかの理由でそこから新天地を求めてやってきた人たちだったのではないだろうか。
この地で理想郷を創ることを目指して。
日本人に、諸外国では淘汰されたY染色体遺伝子が残っている理由・・・それは、闘うことを避け、負けないために必死で生きる場を求めた、弱いがゆえの精神性の高さを示しているような気がするのです。
なーんて、妄想の激しい私はこうしてすぐに自分なりの説を創り、ひとりの時間はあっという間に過ぎてゆくのですが・・・(笑)、そんなことへの関心を深めていた折に依頼をいただいたのが、ヨガとのコラボレーション『太陽の光る島』というDVDの楽曲制作でした。
東洋的な信仰心、ヨガの持つ自然体で健康的な日々のイメージを、1日の流れを描くように1曲目『夜明け』2曲目『輝く朝』・・・として創り始めました。
全11のシーンの中で、先方のご希望によって『JUPITER-水と光の奇跡-』も1シーンに使われることになりました。
そのヨガDVDの楽曲たちは、昨年2010年の春にアルバム『かむながら』としてリリースしました。あの『JUPITER-水と光の奇跡-』も、これでようやくTINGARAのアルバム楽曲に加わったわけです。
思えば、2003年に出し損ねたなど、もうすっかり過去の話。
二番煎じもいい所な『JUPITER』ですが、ありがたいことに評判は上々で、リリース前にradio TINGARA企画で無料ダウンロードを行った際も、TINGARA空前のダウンロード数に。
沖縄では久米仙酒造様ご提供の天気予報で使っていただき、2006年の再制作のときに沖縄の青い海をイメージして歌詞の中に組み込んだ「球美の海」という言葉も輝きを増しました。
・・・ところが、みなさま、お気づきいただけましたでしょうか。
このお話のすべてのきっかけとなった『みるやかなや』の頃、あの2003年5月。
TINGARAが『遙かなるみるやかなや』の撮影で石垣島へ渡った前日、時を同じくして宇宙へと壮絶な旅へ出たあの小惑星探査機MUSES-Cには『はやぶさ』という名が付けられていました。
MUSES-Cは、糸川博士が愛してやまなかったそのペンシルロケットに起源を持つ最終機器であるミューシリーズのM-Vロケット5号機によって打ち上げられた探査機であり、打ち上げ成功後、かつて糸川博士が設計に参加した戦闘機『はやぶさ』にちなんで命名されました。
はやぶさが目指していた小惑星は、当初は発見年の「1998」に型番がついた味気ない名でしたが、2003年の8月にJAXAの依頼を快諾してくれた、小惑星の発見者で命名権を持つマサチューセッツ工科大学のチームの計らいで、その名が『イトカワ』と名付けられたのでした。
こうして幾多の困難を乗り越えて、『はやぶさ』が『イトカワ』を目指すという、なんともロマンのある計画へと進化していったのでした。まさに、糸川博士の後輩の方々による愛と執念の結晶。
すっかり忘れていたけど、『はやぶさ』が『イトカワ』に到着する前に、JAXAがその地点の命名を募集していたので、siteTINGARAで「ひでおってつけてもらおう」と投票を呼びかけるなんていうアホなこともしました。(^^ヾ
(いっしょにノってくださったみなさま、ありがとうございました。^^ヾ。。)
ペンシルロケット好きだった私は、あのMUSES-Cという小惑星探査機が故糸川博士の後輩の方たちによって宇宙へと放たれたとき、日本の宇宙開発がいよいよ幕を明けたようなワクワク感を一ファンとして味わわせていただいていたのでした。
そして2010年の6月13日。『はやぶさ』は約束通り帰ってきました。
つづく・・・